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大阪地方裁判所 昭和46年(わ)3762号 判決

主文

被告人らはいずれも無罪。

理由

第一本件公訴事実

本件公訴事実は、

被告人ら三名は、平野住人、梅屋隆および行沢正春と共謀のうえ、昭和四六年一二月一日午後三時四〇分頃、国立大阪教育大学池田分校主事事務取扱柏原健三が看守し、かつ、教職員を除き右看守者の許可を得ていない者の立入を禁止した大阪府池田市城南三丁目一番一号所在の右池田分校構内に、正門横金網さくを乗越えて侵入したうえ本館講堂内に乱入し、もつて故なく人の看守する建造物に侵入したものである。

というのである。

被告人らが右日時に立入禁止中の大阪教育大学池田分校構内に立入つた事実は、後記第三、三、3で詳細判示するとおり認められるが、右所為は、以下に判示する理由で可罰的違法性を欠き罪とならないものである。

第二大阪教育大学の沿革、概況および組織等

〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

一沿革、概況等

国立二期校大阪教育大学は、昭和二四年五月、旧制の大阪第一師範学校(元の大阪府天王寺師範学校および同府女子師範学校)および同第二師範学校(元の同府池田師範学校)を母体に、国立学校設置法に基づき新制大学「大阪学芸大学」として発足し、同四二年六月同法の一部を改正する法律により改称して現在に至つている。同大学は、「学芸の研究教授につとめ、高い学識と豊かな教養をもつ人材特に有為な教育者を育成するを目的とする」(学則第一条)大学であり、学部は教育学部のみで、小、中、聾、養護各学校教員養成課程をはじめ一〇の教員養成課程(小学校教員養成課程は一部および二部)に分れ、卒業に必要な単位を修得すれば教育職員免許法に定める免許状取得に必要な条件を充たすようにカリキユラムが組まれ、卒業生の八〇ないし八五パーセントの者が教職に就いている。そして、天王寺、池田、平野の各分校を有し、本部は天王寺分校にある。

二組織等

教授会は、従来教授のみで構成され(旧教授会)学生らの傍聴は原則として許されていなかつたが、先般のいわゆる大学紛争を経て、昭和四四年七月の新教授会規程施行後は教授、助教授、専任講師および助手で構成され(同規程第二条、新教授会)、また、同四五年三月の教授会運営細則の施行により、議長は教授会の承認を得て職員および学生に傍聴を許可することができる(同細則第一二条。ただし、学長が必要と認めた場合または教授会が議決した場合は秘密会とすることができる。同細則第一三条)ことになり、事実上公開を原則とする運営がなされていた。教授会は大学の最高決定機関であつて、人事、学則、予算、教務、学生の厚生補導および身分、代議員会等に関する事項を審議決定する(教授会規程第三条)ものであるが、学長、補導部長、附属図書館長、分校主事、夜間学部主事、教養部主任から成る補導会議(同会議規程第三条)が置かれ、教務、補導に関する緊急重要事項を教授会に代つて審議処理する(同会議規程第二条。ただし、審議処理した事項は次の教授会で承認を求めなければならない。第七条)ものとされる。

入学試験の実施に関しては、当該年度の実施方針、学力検査実施科目、健康診断の方針、日程、合否判定の方針および基準、各種委員の選考方針について、学長、補導部長、夜間学部主事、教養部主任、各学科代表各一名で構成される入学試験審議委員会(同委員会規程第三条)において審議して原案を提出し(第二条)、学長、分校主事、夜間学部主事、附属図書館長、補導部長、教養部主任、各学科から選出された代議員二四名、教授会の構成員から選出された代議員二〇名で構成される代議員会(代議員会規程第二条)の議を経て、最終的に教授会で決定されるのが通例であつた。

第三本件事件に至る背景、経緯等および本件事件当日の経過

〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

一昭和四六年度以前の入学試験と健康診断(ABCランク付)

昭和四六年度以前における大阪教育大学入学志願者(受験生)に対する合否の判定は、最終的には教授会において学力検査、出身学校長作成の調査書(内申書)、健康診断を総合判断して行われたが、右健康診断については、まず、医師の資格ある教官三名、校医一名、体育教官二、三名、学生課長一名で構成される健康診断委員会において、受験生の提出した身体検査票により健康診断の必要性の有無を検討し、その必要があると認められる受験生に対し、学外の医師に委嘱して学力検査当日健康診断を実施し、同委員会は、右医師の報告書等を検討して、全受験者をA=全然問題のない者、B=課程科目の履修上考慮すべ点がある者、C=課程科目の履修が困難で、入学不適当と認められる者の三ランクに振分けるものとされた。そして、学力検査、内申書の結果のほか、BCランクの者についてはその旨および障害の事由が記載された一覧表が、合否判定会議(教授会)に資料として提出された。もちろん、合否判定の最終決定権限は右教授会が有するわけであり、そこにおいて右Cランク該当の障害の事由について質疑応答がなされるわけであるが、結局は、右健康診断委員会の見解がそのまま承認され、Cランクにランク付された受験生は、たとえ学力検査、内申書の成績が合格点に達していたとしても、すべて総合判定の名のもとに不合格とされていた。このように身体的条件を重視する入試制度は、同大学はその沿革、課程、卒業生の就職先からみて教員養成大学であるから、教員免許取得に必要な科目をすべて包含している同大学の課程科目の履修が可能であり、かつ、卒業後教員として採用されうるだけの身体的条件を具えたものしか入学を許可できないとの同大学ないしは執行部の考え方に基づくものであつた。

右合否判定会議は秘密会であり、右のような合否判定のしくみは学生らに知らされていなかつた。

二本件事件に至る背景、経緯等

1  S君問題の発生

同大学は昭和四六年度入学試験につき、受験生に対し、三月二三日(昭和四六年、以下同じ。)および二四日(午前中)の両日にわたつて学力検査を、同日午後に健康診断を実施し、同月三一日の秘密会による合否判定会議(教授会)で入学を許可すべき者(合格者)を決定し、翌四月一日合格者名を発表した。

S君こと三箇修司(以下S君と言う。)は、大阪府立阪南高等学校を卒業して、同年同大学の肢体不自由児教育教員養成課程を受験したが、学力検査では合格点に達していたものの、健康診断の結課Cランクの判定を受けていたため、右合否判定会議で質疑応答および議論が交わされた。まず、Cランクの具体的内容は小児麻痺後遺症であり、右手右足が不自由だから体育、音楽の履修が困難である旨、健康診断委員会からの説明があり、それに対して質疑応答がなされ、一部には履修が可能ではないかとの意見や、合否判定を留保して別に委員会を構成するなどして検討すべきであるとの意見も出されたが、結局、同大学が教員養成大学(目的大学)であるとの認識に基づき、養護学校教諭免許状取得の基礎資格である小学校教諭免許状を取得するのに必要な専門科目(小専)中の技能三教科(音楽、図画工作、体育)の単位の修得が困難である(教育職員免許法施行規則第二条によれば、一級普通免許状では右三教科のうち二以上、二級普通免許状では一以上を含めば足るものとされているが、同大学のカリキユラムにおいては、基礎資格として一級普通免許状を要求し、しかも右三教科全部を必修としていた。)との意見が大勢を占め、S君は不合格と決定された。

右事実を覚知した毎日新聞社は、合格発表の四月一日、S君は学力検査の成績では合格点に達していたが、健康診断の結果不合格となつた旨、同人に対して電話連絡をなし、同月三日付の同紙面でS君をA君と表示して同旨の報道をなした。これを契機として、同大学の学生らは、S君を支援する会(以下S支と言う。)、身体障害者解放研究会(以下障研と言う。)を結成して、「S君入学差別糾弾」、「不合格処分白紙撤回」、「即時入学」をスローガンに掲げ、その実現に向け大学当局を追及し、いわゆる大衆団交を要求するに至つた(S君問題)。

2  S君の「再審査要求」、学生らの「障害者解放」運動と大学側の対応(四・二一教授会、六・一四確約)

S君の出身高校である阪南高校においても右報道によりS君の不合格理由に疑問を抱き、四月五日頃、教頭、事務長および三年生当時の担任教諭が、事実確認のため同大学に赴き、「医学、教育の専門家の見地から、小専の体育、音楽の履修が困難あるいは不可能であると判断して不合格にした。」との回答を得た。そこでS君は、同月七日頃、同人と両親の連名で不合格は納得できないとして同大学長事務取扱(学長代行)松本賢三宛「再審査要求書」を提出した。そして同高校は、同月八日頃これを支援する資料として、担任教諭のS君に対する所見、体育実技の記録、体力検査の結果、クラブ活動(陸上競技)における記録等を提出し、S君自身も、中学時代の体育の記録と教諭の意見書を得て、同月一二日これを同大学に提出した。こうして同月一〇日、S君、母親、担任教諭の三名が同大学に赴き、上寺久雄補導部長、辻野昭学生課長等と面談し、健康診断で不合格とされた根拠を糺したが、「医学、教育の専門家から成る健康診断委員会が履修困難と判断したのであり、入学試験は既に終了しているからいまさら右のような再審査要求は受入れられない。」との説明を得るに止まつた。

一方、同大学執行部は、同月二一日S君問題について教授会を開催したが、S君側より提出された前記資料を殊更教授会構成員たる教官に配布しなかつたため、同教授会においては、一事不再議を主張する空気も強く、三・三一教授会より詳細な質疑応答がなされたものの、結局、技能三教科特に体育の履修が困難であり、危険が伴うなどの理由により、S君の不合格が再確認された。その間にも、S支、障研を中心とする学生らは、池田分校における新年度(昭和四六年度)履修申請ボイコット運動などを通じて、執行部との交渉を要求し、四月二三日午後、五月二四日と全学集会を実現させたが、執行部は、四・二一教授会でS君の不合格が再確認されたことを理由に、S君の「再審査要求」を拒否した。しかし、六月一四日になつて、学生側の要求に応じ、ようやく、S君の不合格処分を再審議するための教授会を同月一六日に開催すること、および右審議の結果如何にかかわらず、S君問題について話合うための全学集会を同月中に開催することを確約した(六・一四確約)。

3  S君合格決定(六・一六教授会)

学生の傍聴が許可された六月一六日の教授会において、松本学長代行、渋谷学長代行代理の執行部は、S君側より提出された前記資料を配布することなく、再審査のための特別委員会を作つて検討するとの原案を提案したが、右資料を既に入手していた教官の一部からそのコピーが全教官に配布され、その検討がなされた結果、S君の障害が前二回の教授会で示されたデータよりも軽いものであるとの認識と、毎日新聞による前記報道以来学内外からの問題提起により生じた障害者に対する認識の変化などが基礎となつて、票決の結果一四二対一六をもつて、先の入学不許可は撤回、S君の入学が許可されるに至つた。そして、同月二八日、S君の入学式が平野分校主事出席のもとで行われた。

4  学生らの「障害者解放」運動の展開(八・一七確約)

こうして、S君問題については一応の決着をみ、教授会の大勢も、これを例外的な事例として把握するに止まり、身体障害者の問題として一般化することを避けたまま、S君を救済したことによる表面的な問題解決で満足し、S君問題を惹起した同大学の現行入試制度を問題視する気運を醸成するに至らなかつた。しかしながら、S支、障研を中心とする学生らは、当初より一般化した問題意識を持つていて、S君問題をS君個人の問題に止まらず、障害者に対する差別の問題として把えていたため、抽象的には障害者に対する差別の撤発をスローガンに掲げ、すべからく「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」(学校教育法第五二条)ところであり、同大学と言えども、旧制の師範学校のような教員養成大学(目的大学)ではなく、ただその卒業生の大半が結果として教職に就いているだけであつて、同大学を職業訓練所と同視してはならないとの前提に立ち、障害者は既に小学校入学の段階から就学猶予、就学免除という形で実質的に差別されるなど、社会のあらゆる面で差別されているが、同大学の当面の問題として、入学の合否判定に際しては学力のみをもつて判定すべきであり、障害者も学力検査において合格点に達する限り入学を許可すべきであつて、身体的条件を合否判定の資料とすべきではないとの建前を主張し、S君の場合がまさにそうであつた如く身体的条件を合否判定の資料とすることに直結する入試時の健康診断を昭和四七年度以降撤廃するよう求めて、執行部に対し、先の六・一四確約に基づき全学集会を開催することを要求した。しかし、執行部においては、先に松本学長代行が病に倒れて執行部としての機能が麻痺したこともあり、また、S君問題はS君個人の問題に止め、入試時の健康診断という入試制度の根本に係る問題にまで触れられたくないという意識もあつて、右六・一四確約にもかかわらず、要求に応じず放置した。

ようやく、八月一七日の協議会で選出(九月一六日辞令)された高橋陸男新学長代行は、その直後、S支、障研の学生らに対し、「新執行部成立事務引継後一か月以内に全学集会に向けて補導部交渉を持つ。」旨確約するに至つた(八・一七確約)。

5  入試専門委員の委嘱

その間、執行部においてもようやく入試制度改革の必要性を認識し、七月頃、漸進的改革を目指して入試審議委員会の中の専門委員(同委員会規程第九条)として入試専門委員一七名を任命し、昭和四七年の入試に関して、(1)健康診断の具体的な実施方法と合否判定の基準、(2)学力検査の合否判定の基準、(3)内申書の取扱の基本方針と具体的な処理方法、および(4)以上三要素をいかに総合して判定するかという総合判定の方法について、来たる一〇月三〇日までに入試審議委員会に答申を出すよう委嘱した。

6  全学集会開催のための補導部交渉

一方、一〇月に入つて、先の八・一七確約に基づいて全学集会を開催するべく、その議題内容、日時、場所、進行形式等を定めるための予備交渉が、S支、障研を中心とする学生らと補導部との間で、同月一二日以来四度にわたつて行われ(いわゆる補導部交渉)、種々折衝の結果、「一〇月二七日に全学集会を開催する。議長団は学生二名、教官二名の計四名(議長は学生)とし、時間は、午後二時から同五時三〇分の間で一応総括し、二部学生の参加を求めて同六時再開し、同九時終了すること。議題の内容は、現在までの経過報告、三・一三教授会でS君が不合格とされた理由、六・一六教授会でS君が合格とされた理由、六・二八入学式後六・一四確約を無視した事由、入試専門委員の中間報告等とする。」との合意に達した。しかし、学生側の求める学外者の参加については、大学側の容れるところとならなかつた。

7  一〇・二七全学集会

かくして、一〇月二七日、第一回全学集会が天王寺分校講堂において、執行部、教官、職員、学生計三〇〇ないし四〇〇名参加のもと、事実上学外者も参加して、午後二時四〇分頃から同一一時三〇分頃まで約九時間にわたつて行われた。

まず、高橋学長代行が、現在までの経過報告を行つた後、三・三一教授会でS君が不合格とされたのは、従来の健康診断を含む総合判定方法により、課程科目の履修が可能か否かという観点からの判断に基づくものであつたこと、六・一六教授会でS君が合格とされたのは、出身学校等から提出された運動能力表などの参考資料その他を勘案し、かつ、事後処理委員会の設置による就学条件の整備に関する見通しを充分配慮したうえでの判断であつて、教員志望の障害者に入学の道を開く必要性があるとの認識に至つたこと、今後への対処として、障害者の入学に対して同大学がとつてきた態度、方針を反省し、教員志望の障害者に入学の道を開く方向で努力すること、そのため、従来のABCランク付制度を廃止して「所見記載方式」に変え、総合判定においても視点を根本的に転換し、教員志望の障害者に明るい可能性を見出す方向での判定とするよう改革に努力することを説明し、続いて芳賀学生課長が、入試専門委員(会)の構想として、(イ)従来のABCランク付制度は廃止し、詳しい所見を記載する。(ロ)機能検査にはリハビリテーションの専門家の参加が望ましい。(ハ)健康と機能の状況に関して、資料を作成する委員会を組織し、診断、検査に当つた者と学科、教室の教官とで構成する。(ニ)盲聾者の志願への道を開く。との案が検討されている旨説明した。

これに対して学生側は三・三一教授会は障害者を差別したものであることを認めさせたうえで今後は差別しないという基本姿勢を確認させなければならないとして、(1)当初S君を不合格とした詳細な理由と根拠(三・三一教授会の審議内容も含めて)、(2)S君に関する健康診断委員会のC判定の審査内容およびその根拠(基準)、(3)ABCのランクにおけるB判定とC判定の基準、を明確にすることを要求し、(4)執行部の言う「所見記載方式」は、障害者の可能性を発見する方法とその根拠が不明確であり、従来教授会でほとんど問題にされていなかつたBランクの者を従来どおり合格させるだけで、Cランクの者に門戸を開放することにならないのであつて、畢竟ABCランク付制度の合理化に過ぎず、障害者差別の本質は変らないとして、結局、身体的条件を合否判定の資料とすることに直結する入試時の健康診断の撤廃、健康診断委員会の解体を強く主張した。大学側は、右(1)については法律上の問題があるから公表できない、(2)については個人の秘密に属することであり、医師の守秘義務上答えられない、(3)については、Bは健康上異常があるが履修可能である、Cは健康上履修困難である、ということになつているが、C判定に関してはその具体的基準についての特別な規定はなく、就学上支障がないかどうかの観点から個々の健康診断委員が行つた判断を総合して決める、旨回答し、(4)について、所見記載方式は障害者の教員志望の現状と可能性をより詳細に、正確に見出していくという観点に立脚しているものであつて、不合格判定への(落すための)積極的基準とはならない、健康診断の結果を合否判定に結びつけないようにするのがよいかどうかは即断できない問題であるが、その理由は、入学後の教育の可能性、履修の可能性、大学側の受入れ条件の整備等を入試の際に考慮する必要があるし、希望学科の変更、受入れ条件の可能性および見通し等を配慮することができるような体制をとつておきたい、と考えているからである、との見解を述べた。

こうして、ABCランク付制度の意味ないしは基本姿勢を廻つて、健康診断の結果を合否判定の資料とすべきでないとする学生側の要求と、健康診断を含む総合判定方式を維持しようとする執行部の見解は、容易に噛合わないで平行線を辿つたが、午後一〇時近くになつて議長団が斡旋に努めた結果、高橋学長代行が学生側に対し、「入試合否判定に健康診断所見を入れるかどうか大学として再検討する。一〇月三〇日に予定している入試専門委員(会)の答申期限を二週間延期し、その答申が出る前に再度全学集会を持つ。次回全学集会の日時は補導部交渉において決定する。」旨確約し、当日の第一回全学集会は終了した。そして、引続いて行われた補導部交渉において、次回全学集会は一一月一〇日午後二時から同一〇時まで天王寺分校講堂で行うとの合意に達した。

8  入試専門委員(会)の討議と一一・二教授会の招集

前示の如く七月頃委嘱を受けた入試専門委員は、八月三〇日の第一回以来七回の会合を持つて討議を重ねた。その前半において、同大学を含め教育系の大学は一般大学に比べて健康診断がより重要視されており、それは、教員養成大学であることから公立学校教員採用時の身体状況の適否の判定基準を、ほぼそのまま入試時の健康診断の基準に準用しているためと考えられるが、この両基準は切離し、健康診断は入学後の課程科目の履修が可能であるかどうか、入学後の健康管理の観点から行われるべきであるとの確認がなされ、一〇月二六日の段階で、前示一〇・二七全学集会で芳賀学生課長が入試専門委員(会)の構想として説明した(イ)ないし(ニ)の方向で検討することで、ほぼ合意に達した。

しかし、その後、実施することを前提に検討作業を進めてきた健康診断自体について、果してこれを実施しなければならないのかという疑問が強くなつたため、入試専門委員(会)は、右問題が同委員(会)に委嘱された権限の範囲を越えるものであることから、答申期限が一〇・二七全学集会で二週間延期されたこともあつて当初の期限である同月三〇日までに答申を出さず、右のような合意に達した事項を内容とする「昭和四七年度入学者選抜方法の漸進的改革について」と題する中間報告を作成するとともに、高橋学長代行に対し、教授会を緊急に招集して(1)機能障害疾病のある者に進学の門戸を開放するかどうか、(2)入学後の課程科目の履修が可能かどうかを考慮に入れるか、(3)同大学は教員養成を目的としているが、これを条件に入れるかどうか、(4)健康診断を実施するかどうか、の四項目について、緊急に同大学の基本的見解を確立されたい旨要望した。

右要望に基づき、一一月二日の緊急教授会が招集されたが、同大学の大学祭の期間中でもあり、教授会構成員たる一般教官の「執行部任せ」という関心の低さのためもあつて、定足数に達しなかつたため、懇談会として、席上右中間報告が配布され、右四項目について主として執行部の見解を糺す形で意見交換が行われるに止まつた。その後も、入試専門委員(会)が要望した同大学の基本的見解の確立はなされることがなかつたので、入試専門委員(会)は、健康診断の問題を留保したまま、学力検査、内申書、総合判定の問題などの討議を行つたものの、遂に答申を出すことはできなかつた。

9  一一・一〇全学集会の中止

第二回全学集会の開催が予定されていた一一月一〇日の朝、天王寺分校本館玄関上に赤ペンキで「障害者解放」「所見粉砕」「健診委解体」のスローガンが大書されているのが発見された。執行部は、右スローガンがS支・障研が常に掲げてきたスローガンであることからこれをS支・障研の仕業と極め付け、今までの補導部交渉においてかなりフエアーな話合のルールが成立していたにもかかわらず、大学の公共の建物に対しかかるスローガンを書くことは不法行為であり、同時にS支・障研の誠意を信じて交渉してきた大学に対する裏切行為であるとして、代表者に全学集会開催前に釈明するよう求めたが、S支・障研がこれに応じなかつたため、当日の全学集会を一方的に中止した。憤慨した学生ら約四〇名は、同日午後五時頃から翌一一日午後九時頃までの間、天王寺分校主事室において、阪田巻蔵天王寺分校主事代行および柏原健三池田分校主事代行(九月一六日辞令)に対し、全学集会を中止したことの責任を追及し、交渉の再開を求めて上寺補導部長か芳賀学生課長と連絡をつけるよう要求したが、両主事代行は一切答えなかつた。その過程において、これを見守つていた一教官の言葉から、昭和四六年入試について、S君以外に、学力検査では合格点に達しながら健康診断で心臓疾患を理由にCにランク付され、不合格となつた者が二名いることが初めて明らかとなつた。そして、学生がひたすら交渉再開を要求した結果、ようやく翌一一日午後二時頃、上寺補導部長、芳賀学生課長が姿を見せ、交渉の末、高橋学長代行、上寺補導部長、阪田天王寺分校主事代行、柏原池田分校主事代行、芳賀学生課長名で「入試専門委員の答申期限を同月二〇日まで延期する。全学集会を同月一三日午後〇時より同二時まで天王寺分校講堂において開催し、その場で入試審議委員会、専門委員会の日程と場所を明らかにする。形式は前回どおりとする。」旨確約をなした。

10  一一・一三全学集会

第二回全学集会は、一一月一三日午後一時頃から翌一四日午前二時頃まで、天王寺分校講堂において二〇〇ないし三〇〇名が参加して行われた。学生側は、(1)課程科目の履修は固定的に考えるべきではなく、障害者にはそれに相応しい履修の内容、方法があるはずであり、そのための検討は入学許可後に行えばよいのであつて、社会のあらゆる差別の中で高校を卒業し学力検査で合格点に達した障害者は、勉学の意欲に燃え、障害克服の努力を続けてきた者であるから、まず入学を許可すべきであり、入試時の健康診断は障害者に門戸を閉ざすことにしかならない、また、障害者を特殊な施設に集めるのは障害者を一般社会から隔離することであり、障害者が普通の大学に入学して学ぶことこそ教育的見地からみて重要なのであつて、設備が整うまで待てというのでは、いつまでたつても整う見込はないとして、入試時の健康診断撤廃、所見粉砕、健康診断委員会解体を主張し、(2)入試専門委員(会)、入試審議委員会の開催日、および(3)昭和四六年度入試における心臓疾患による不合格者の明示を要求した。執行部は、右(1)について、健康診断を含む総合判定による選抜方法は、歴史的、教育的成果であり全人評価として現時点では当を得たものであるから、この基本方針のもとで、精密検査を行い詳細な所見を記載する「所見記載方式」を採用すること、学生側は具体的な理解と検討を排除して理念や原則のみを徒らに繰返すものであり、大学側としては、障害者差別と言われるような事態をなくすという方向で昭和四七年以降の入試を押進めるが、障害者教育や障害者の教員志望の具体化のためには、単なる施設や教育課程の現実的整備の問題だけでなく、関連する基本的な重要問題が数多くあり、大学の社会的責任という意味において、これら重要問題について軽率な結論を出すことはできず、時間をかけて根本的かつ継続的に研究していかねばならない、と強調し、右(2)について入試専門委員(会)の答申期限を同月二〇日まで延期することを約し、両委員会の開催日程を明らかにした。

さらに右(3)については、執行部は、心臓疾患を理由とするCランク付のため不合格と判定された者が二名いたが、それは、医師の心電図、打聴診検査による精密な判断に基づく総合判定の結果であること、およびその両名が課程科目の履修が困難である理由を説明したが、学生側は納得せず、両名の健康状況についての詳細な説明を求めた。執行部は、詳細は専門委員でなければわからないと述べたが、前回の全学集会に引続き当日も執行部のメンバー以外の入試専門委員、健康診断委員の出席がなかつたことから、学生側は、右両名の問題と四七年度の入試の際の健康診断の問題について入試専門委員を含めての全学集会開催を要求し、執行部との間で押問答が続いた。途中、午後八時頃、高橋学長代行が疲労で退場したため、柏原池田分校主事代行が学長代行代理として交渉を続け、結局翌一四日午前二時頃になつて、同主事代行が「一〇月二七日、一一月一三日全学集会の事態に鑑み、一一月一七日午後二時から天王寺分校講堂で、入試専門委員(会)に本学構成員を加え、入試要項決定前に、要項に対する討論を具体的に深めていくことを要請する。」旨確約して(一一・一三確約)、同日の全学集会はようやく終了した。

11  一一・一七入試専門委員を囲む全学集会

右一一・一三確約に基づき、入試専門委員を囲む全学集会が、一一月一七日午後四時頃から翌一八日午前三時頃まで天王寺分校講堂において行われた。右全学集会には、高橋学長代行の要請を受けて一七名の入試専門委員中一〇名前後が出席し、学生側は四〇〇ないし五〇〇名が参加して、主に、入試時に健康診断を実施することの可否が話合われた。その結果、最後まで在席した七名のうち阿部浩一教官をはじめ六名の入試専門委員は、学生側に対し、「(1)健康診断を入学判定の資料とすべきではなく、(2)したがつて、健康診断は合格発表前にすべきでないことを確認する。(3)また、本年度の入学試験で二名の人を“心臓疾患”の理由でもつて入学拒否したことに対し、責任をとり、即時入学を目指すべきである。」との趣旨の「全学構成員」宛の確認書(昭和四七年押第六三一号の3)に署名して確認をなし(同月一九日、右確認書の作成、署名当時在席していなかつた高倉翔ほか一名の入試専門委員が追加署名した。)入試専門委員の坂口重雄教官は、健康診断は、合否判定の資料とすべきではないが、入試時に実施すべきであるとして、右確認書中の(2)を除く(1)、(3)を内容とする確認書(同号の4)に署名して確認をなした。

続いて、右両確認書の線に沿つて現実に今後いかにすべきかという手続的問題が話合われ、翌一八日になつて、在席していた右七名の入試専門委員は、「(1)“確認書”に書かれた方向で答申が作成された場合は問題はない。(2)もし“確認書”の方向での答申の作成が不可能な場合は、答申は出さないで、本学構成員との検討討論の場を執行部に保障するよう要請する。ただし、専門委員会の招集がありしだい、時間と場所を学生議長団に連絡する(一八日中に招集がない場合も、その旨を連絡する。)。当日の専門委員会終了後、その場で全学構成員に対し、内容を報告する。」との確約書(同号の5)に署名して確約をなした(同月一九日、前同様高倉翔ほか一名の入試専門委員が追加署名した。)。

12  一一・二四教授会と全学休講およびロックアウト措置

右確認書、確約書作成の事実を知つた高橋学長代行は、これは執行部が責を負うべき大学運営に学生ないしは入試専門委員が介入するものであつて、許さるべきものではないと判断したうえ、「当初もつぱら執行部を対象としていた学生側の糾弾と強要は、本来自由な立場で入試のあり方を検討すべき入試専門委員にまで及び、学生側は、彼らの主張の承認とその実現のための努力、しからざる場合には再度の討論を求めるという確認書に一人一人署名することを要求するに至つたが、かかる事態を黙認して推移に任せるならば、入試専門委員(会)、入試審議委員会、代議員会、最終的には教授会すら、その開催および円滑なる運営が阻害されるに至ることは明らかであり、ひいては、入試要項の決定期限(印刷や各高校への配布などの事務手続のため、例年大体の目安としている一二月一日)が切迫していることから明年度の入試が実施不可能となる事態すら懸念され、早急に最終的結論を出さねばならない。そのため、全教官の諸会議参加を保障するべく、一一月二四日(水)から一二月四日(土)まで全学休講の措置をとることとする。」旨の「全学講成員の皆さんへ―全学休講について―」と題するパンフレット(昭和四七年押第六三一号の8)を郵送配布してその見解を示すとともに、右見解に基づき、入試専門委員の答申および入試審議委員会の議を経ずに、直接、昭和四七年度入試要項の大綱に関する執行部原案を教授会に提案することを決定した。そして、一一月二〇日頃、議長たる同学長代行が招集した補導会議において、右全学休講の措置、およびこれに加えて同月二四日池田分校講堂での教授会の際には、同分校構内への「教職員および特に許可を得た者以外の者の立入を禁止する。」いわゆるロックアウト措置をとることが決定された。

こうして、一一月二四日午後二時より開催された教授会において、「(1)昭和四七年入試は、学力検査、調査書、健康診断および必要と認められるその他の資料に基づく総合判定において実施する。(2)入試判定に際して、障害者差別と言われるような事態の生じないように慎重に配慮する。(3)障害者の教員志望とその教員養成については関連する個々の基本的問題を検討したうえで、いかに現実的ならしめるかを今後の課題として研究する措置を講ずる。」との執行部原案が賛成多数で可決されるとともに、右全学休講およびロックアウト措置が承認された。同会議の席上、入試専門委員の一部より、前記入試専門委員の確認書および確約書は、入試専門委員の真意に出たものであるにもかかわらず、右学長代行名のパンフレット中に、あたかも入試専門委員が不本意なことを学生側に強要されて書かされたものであるかの如き部分があることについて遺憾の意と、右執行部原案の提出が通常の手続として踏むべき入試専門委員の答申および入試審議委員会の議という段階を経ていないことについて疑問が表明された。当日、池田分校構内は同大学教職員が警備し、構外は学長代行の要請で出動した池田警察署警察官が警備に当つたが、多数の学生が午後〇時頃構内に入り込み、講堂前のグランドに坐込んで抗議集会を開いたため午後〇時三〇分頃学長代行の依頼により警察官がこれを構外に押出して排除した。

その後、同月二六日、高橋学長代行は、入試専門委員の答申が出ないまま、後記入試審議委員会の議を経て入試専門委員の委嘱を解いた。

三本件事件当日(一二・一教授会)の経過

1  一二・一教授会

一二月一日午後二時三〇分頃から同五時二〇分頃まで池田分校講堂で行われた教授会においては、執行部が一一・二四教授会で決定された入試要項大綱に基づき作成し、同月二六日の入試審議委員会、ロックアウト措置のもとで行われた同月二九日の代議員会の各審議を経た昭和四七年度入試の実施案が審議され、その結果、「合否判定は総合判定方式によるが、その入試時精密検査(健康診断および機能検査)の実施方法に関して、(1)従来のABCランク付制度は廃止する。(2)精密検査の結果はなるべく詳しくまた具体的に記載する。機能検査にはリハビリテーションの専門家等の参加を考慮する。(3)精密検査の結果と課程、学科の履修の可能性とを総合して判断するための資料作成委員会(仮称)を組織する。同委員会は診断者と検査者からの若干名および関連する学科教室の教官からの若干名をもつて構成する。(4)精密検査は、ア、結核その他伝染性の虞ある疾病、イ、運動機能障害、聴覚障害、視覚障害、心臓疾患、その他高度の健康上の障害、ウ、色神異常、のある者について実施する。」との執行部の右実施案原案が可決され、さらに、教員志望の障害者の教育に関し、同大学の施設、設備を整えるよう努力するが、一方、すべての大学が障害者の教育に必要な諸条件を具備することは実際上困難であるから、地区ブロックごとに障害者教育を行うことのできる大学を設置することも考慮されてよい、との執行部の見解が示された。

2  当日のロックアウト措置と学生らの抗議行動

これに先立ち、執行部は、一一月二八日頃の補導会議で一二・一教授会開催のためのロックアウト措置を講じることを決定したうえ、一一月三〇日、高橋学長代行名で右決定に基づき、「一二月一日教授会開催に伴い、昭和四六年一一月三〇日二〇時より一二月一日二四時まで、本学教職員および特に許された以外の者の池田分校構内全域への立入を禁止する。」旨の「池田分校立入禁止の措置について」と題する掲示および「立入禁止 大阪教育大学長」という掲示を、閉鎖した正門(南門)、東門、西門の各門に掲げた。一二月一日当日は、構内は多数の教職員が、構外は同学長代行の要請により出動した警察官が、それぞれ警備し、正門は、主に大阪府警察第一機動隊第三中隊第二小隊(林雄次郎小隊長以下二三名)、応援の同第三小隊の一部および池田警察署員約一〇名が警備に従事した。

学生らは、こうして機動隊に守られたロックアウト措置の中で昭和四七年度入試要項を決定する教授会が行われることに強く反発し、これに抗議するべく、朝から池田分校正門前に集まりはじめ、午後には二〇〇名にも達し、午前一一時頃から午後にかけて登校してくる教官一人一人に対し教授会をボイコットするよう呼びかけたり、「教授会粉砕」「機動隊帰れ。」などとシュプレヒコールをあげたりし、警備の警察官との間で揉合いが続き、騒然とした状態となつた。午後一時開会予定の教授会は午後二時三〇分頃になつてようやく定足数に達して開会されたが、前日および当日学生から出された傍聴希望は高横学長代行が秘密会とすることを要求したため、受入れられなかつた。従来より、教育の場において外部の警察力を導入し表面だけの平静さを保つことに反対し続け、また、当日の騒然とした状況から、学生らが構内に乱入して逮捕されるというような事態になりかねないと憂慮した二、三の教官が、三、四名の学生代表を傍聴させるよう求めたが、執行部は受入れず、さらに、一教官が教授会の場で流会の緊急動議を提出したが、支持者が少数であつたため採択されなかつた。

3  被告人らの行為

被告人ら三名はいずれも、S支・障研のメンバーとともに「障害者解放」運動に積極的に参加してきた学生であつたが、従前からの経緯に思いを至し、今まさに教授会において障害者が差別されようとしているとの危機感を抱き、障害者に対する教育の場での差別の問題という極めて重要な問題であるにもかかわらず、一般教官の関心は低く全学集会等への参加者も少なかつたことから、一言でもいいから自分達の主張を聞いてほしいという切羽詰まつた気持から、平野住人、梅屋隆、行沢正春と意思を相通じ同日午後三時四〇分頃、池田分校正門西横の高さ1.6メートルの金網を赤土が約0.6メートル盛られていた付近より乗越え、グランドを約二〇〇メートル横切つて走り、教授会開催中の講堂内に立入つたが、ただちに教職員によつて押止められ、まもなく、駆付けた警察官により、全くもしくはほとんど抵抗することなく、建造物侵入の現行犯人として逮捕された。

被告人らの右行為により、教授会の審議は数分間中断されたが、講堂内が格別混乱することもなかつたので、何ら手間を要することなくまもなく再開された。

第四当裁判所の判断

一被告人らの「障害者解放」運動の意義

被告人ら学生側は、

障害者は社会のあらゆる面で差別されており、学校教育の場において既に義務教育の段階から「就学猶予」「就学免除」という形で実質的に差別されているのであつて、将来の展望としてこられの面においても広く差別の撤廃を目指して運動していかなければならないことはもちろんであるが、大阪教育大学の当面の問題として、まず、大阪教育大学をその沿革、課程、卒業生の就職先からただちに教員養成大学と極め付けるのは誤であり、身体的条件を入試の際の合否判定の資料とすべきではなく、学力検査で合格点に達した者はすべて大学に受入れるべきであり、そのうえで、課程科目の履修を固定的に考えることなく、障害者には障害者に相応しい履修の内容、方法を保障していくべきである。大学側の言う如く、現状では大学の人的物的施設が整備されていないから障害者を受入れられないというのでは、いつまでたつても整備される見込はないのであつて、まず障害者を受入れたうえで整備していけばよいのである。また、障害者は障害のない者と同じ大学で学ぶことこそ大切なのであつて、これを特殊な施設に集めることは、障害者を一般社会から隔離し差別するものである。したがつて、障害者に対し、身体的条件によつて同大学の門戸を閉ざすことに直結する入試時の健康診断は撤廃すべきである。

と主張し、

大学側は、これに対し、

入学者の選抜方法には絶対と言えるものはないが、従来から採用してきた健康診断を含む総合判定方式は歴史的教育的成果であり全人評価として現時点では当を得たものであるから、特に教員養成大学である同大学においてはこれを維持しなければならないし、障害者を受入れるための諸条件が全くと言つてよいほど整つていない現状において、まず障害者を受入れてからどうするかを考えるというようなことは、大学の社会的責任上許されず、時間をかけ根本的かつ継続的に研究していかねばならない問題である。右のような諸条件をすべての大学が具備することは実際上困難であるから、地区ブロックごとに障害者教育を行うことのできる大学を設置することも考慮されてよい。と主張する。

しかして、障害者が盲学校、聾学校、そして大学側の言う「障害者大学」の如く障害者のための学校で学ぶことは、障害者教育の専門家、障害者のための施設等障害者が学ぶための人的物的諸条件が整つていることから、安全かつ能率的であることは言うまでもないが、他面、とかく障害のない健全者との学校教育を通じての接触の機会が少なくなりがちで、そのためお互に対する理解の欠如から、健全者が障害者に対する予断と偏見を抱き、障害者に対する差別意識を生み出すとともに障害者の側にも不必要な劣等感を植付けることにもなりかねないのであつて、かかる見地からすれば、障害者も、条件の許す限り、すべからく普通の学校で障害のない者と一緒に学ぶことが必要にして適切であるとともに教育基本法に示された精神にも合致する所以であり、したがつて、一般論としては、大学は学力検査で合格点に達した者は、その身体的条件如何にかかわらず、すべて受入れるべきであるとの意見も充分に首肯しうるところである。しかしまた、大阪教育大学の置かれている実際的立場よりして同大学に右の一般論がただちに妥当するかはたやすく断じえないところであり、また、現実の問題として、障害者を受入れるための諸条件が全くと言つてよいほど整つていない現状において、まず障害者を受入れてからその対策を考えるというような態度をとりえないとする大学側ないし執行部の考え方も、受入れた者に対して現実かつ具体的に教育の衝に当りこれが責任を負うべき立場にあるものとして、これを一概に非難するわけにはいかない。

結局、障害者の教育問題について今現実の施策としていずれを採るべきかは、教育政策上の問題として、ただちに速断しがたい困難な課題であるが、少なくとも、学生側の主張は、将来の方途を示唆したものとして十分傾聴に値するものであり、前認定の如く現に入試専門委員一七名中の過半数たる九名がこれに同調している事実からも、右主張を全く現実的基盤を持たない空論として斥けることはできない。

のみならず、より一般的な問題として、従来とかく社会から放置され各方面で不利益な扱を受けてきた障害者の問題について、大学内外に猛省を促し、障害者が大学に入学できないことを特に異としなかつた旧来の同大学のあり方に一石を投じ、現行入試制度の改革の契機を作出したという意味において、被告人らの運動ないし主張は十分評価されなければならない。

二被告人らの「障害者解放」運動に対する大学側の対応のし方

そもそも大学は、学術の中心として真理を探究すべき専門的研究、教授の場であり、学内に生起した諸問題に対してももつぱら討論と説得をもつて対処すべきであつて、警察力を導入し力によつて学生らを押え付けるが如きは、大学施設を学生により占拠されあるいは封鎖される等の場合は格別、極力これを避けなければならないと言うべきであるのみならず、S君問題に端を発した被告人ら学生らの「障害者解放」運動は、本来大学内では到底解決しえない問題を提起しヘルメット、角材等を使用して暴力を振う態のものとは全く様相を異にし、障害者の教育問題を廻り学内で現実に生起した事態に立脚して入試制度の改革を志向する真摯なものであるから、大学側は、なおさらのこと極力これに誠実に対処し、討論を深めていく努力を怠るべきでなかつたにもかかわらず、その対処のし方は、左記の如く誠実さに欠け、性急、不適切なものであつたため、徒らに学生らの大学側に対する不信感を生み出し増大させ、遂に被告人らを焦慮と切羽詰まつた気持に追込んで、本件事件のような事態の現出をみるに至つたものであつて、この点において、執行部ないしは大学側に一端の責任があると言わざるをえない。

1S君問題

本件事件のそもそもの発端は、ABCランク付制度の欠陥がもたらしたS君問題である。入試時の健康診断の可否は別として、ABCランク付制度は、少数の委員で構成される健康診断委員会が、明確な基準を設定することもなく、課程科目の履修が健康上可能であるかどうかを判断し、履修困難と認めた者をCランクにランク付け、結局その判断がそのまま合否判定会議(教授会)でも機械的に承認されていたのが実情であつて、後に大学側も実質的に認めた如く履修の可能性の判断を誤りやすい欠陥を孕む制度であつたことは否定しえない。しかも執行部は毎日新聞の報道後まもなくS君側より高校および中学時代の体育に関する資料等が提出されたにもかかわらず、S君問題に関する四・二一および六・一六教授会にこれを配布せず、六・一六教授会において一部教官が他より入手した右資料のコピーを全教官に配布してようやくS君合格判定の実現をみたのであつて、この点において、執行部は、同種の事例が続発することを恐れて、いつたん下した決定はもはや覆しえないとする立場に固執するあまり、勢いその対応は権威主義的な硬直したものと化し、誠実さにおいて欠けるところがあつたと言わざるをえない。

2全学集会開催の遅延

S君問題をS君個人の問題としてに止まらず、障害者差別の問題として把えていた学生らが、六・一四確約に基づき早急に全学集会を開催するよう要求したのに対し、執行部は、松本学長代行が病に倒れたとはいえ、渋谷教官が学長代行代理の資格において、S君題問に関する全学集会を六月中に開催する旨の右六・一四確約を学生らと交わしておきながら、学生らの右要求に応じず放置し、学生らとの話合を回避し続けたことは、責められてもやむをえまい。そして、高橋学長代行が九月に正式就任してようやく一〇月一二日から予備交渉たる補導部交渉が開始され、四回にわたる交渉の結果、第一回全学集会が開催されたのは、右六・一四確約から実に四か月余後の一〇月二七日のことであつた。

3一一・一〇全学集会の一方的中止

一一・一〇全学集会の予定されていた同日朝、天王寺分校本館玄関上に赤ペンキで「所見粉砕」等のスローガンが大書されているのが発見されたことにつき、執行部は、S支・障研の代表者に釈明を求めたが、これに応じられなかつたため、同日の全学集会を一方的に中止した。これは、執行部が、S支・障研の仕業と極め付け、S支・障研の誠意を信じて交渉に応じてきた大学に対する裏切行為であるとして、右措置に及んだものである。右落書がS支・障研の仕業と判断したのは、大書されたスローガンがS支・障研の常に掲げられていたものだからというのであるが、かかる一事をもつてS支・障研の仕業と極め付けるのは性急に過ぎると言わざるをえないし、仮にそれがS支・障研の仕業であつたとしても、執行部自ら認める如くそれまでの補導部交渉においてかなりフェアな話合のルールが成立していたというのであれば、右のようなことだけで全学集会を一方的に中止したことは、やはり性急に過ぎるし、右落書事件をもつて全学集会を流すための口実にしたととられてもやむをえない面があり、教育者の立場にある者として、いささか疑問なしとしない。

4入試専門委員の確認書、確約書の無視

入試専門委員との話合の場を斡旋することを約した柏原池田分校主事代行(学長代行代理)の一一・一三確約に基づき一一月一七日に行われた全学集会において、高橋学長代行の要請により出席した入試専門委員が作成署名した、健康診断を合否判定の資料とすべきでないことを確約することを骨子とする確認書二通(昭和四七年押第六三一号の3、4)と、その確認内容実現に向けての手続を定めた確約書(同号の5)に対して、執行部は、右は学生側の糾弾と強要によるものとして、このことと入試要項決定の期限が切迫していることを理由に、一一月二四日から一二月四日までの全学休講の措置をとり、入試専門委員の答申を待たず、入試審議委員会の議も経ずに、一一月二四日ロックアウト措置の中で開催した教授会に、昭和四七年度入試要項の大綱に関する執行部原案を直接提出し、その結果、健康診断を含む総合判定方式を維持することを骨子とする右執行部原案が可決されたのであるが、右確認書等が、学生側の糾弾と強要によるものであるとの事実は本件全証拠によるも認めるに足りず、かえつて、証人阿部浩一および同黒崎達(入試専門委員ではないが、一一・一七全学集会に同席していて確認書の作成に関与した。)の当公判廷における各証言等によれば、右両確認書および確約書の内容は入試専門委員の真意に出たものであり、学生側に強要されて書かされたものではないことが窺われる。学生側にしてみれば、昭和四七年度入試の基本方針を答申し、それに大きな影響を与えるはずの入試専門委員一七名中の九名との間で、ようやく、自分達の主張する方向での確認、確約に漕着けることに成功し、しかも右入試専門委員との交渉は執行部自身の斡旋によるものであつたにもかかわらず、これを反故にされる結果となつたうえ、入試専門委員の答申を待たず入試審議委員会の議を経ないなど本来の手続が踏まれず、かつロックアウト措置下での議決という、事の当否はさておき、学生側の不信感を助長すべき要因も重なつているので、学生らが、従前の執行部の対応のし方とも相俟つて、「騙し討ち」の感を抱き、執行部に対する不信感を募らせたことは、推認に難くなく、またまことに無理からぬところと言わなければならない。右高橋学長代行のとつた一連の措置が、右確認書、確約書は学生側の強要によるものであるとの一方的な事実認定を一理由とするものであつただけに、なおさらのことである。もつともこの点、健康診断を実施することを前提にその方針等の答申を委嘱された(健康診断を実施すべきかどうかを教授会で決定することを要望したが、まだその決定が結果的になされていなかつた)入試専門委員が、右のような確認、確約をなすことは、その委嘱された権限上疑問なしとしないが、証人阿部浩一の当公判廷における証言によれば、入試専門委員である同証人自身その点深く考えていなかつたことが認められ、このことからすれば、右入試専門委員との交渉を斡旋した執行部の態度も相俟つて、学生らがその権限内のものであると判断したことも一面においてやむをえないと言うべきである。

5本件ロックアウト措置の妥当性

本件ロックアウト措置は管理権者がその権限に基づいてなしたもので違法とは言えないが、しかし、その妥当性についてみるに、前掲第四回、第八回公判調書中の証人柏原健三の各供述部分によれば、右措置は、S君問題発生以来しばしば学内の会議が学生らによつて妨害されたとして一二・一教授会も同様の事態を懸念して一一・二四教授会、一一・二九代議員会に続いてとられたものであることが認められる。しかしながら、学内の会議が学生らによつて妨害されたとの点については、六月一四日の協議会の際、多数の学生が傍聴を要求して議場内に立入つたため、執行部は傍聴を認めず、定足数不足を理由にただちに協議会を散会し、以後学生らとの話合の場となつたことがあるほか、一一・一〇全学集会の中止後、学生らが、阪田、柏原両分校主事代行と交渉した際、行過ぎた行為に及んだことが認められるが、このことは決して正当とは言えないものの、当日の全学集会が一方的に中止されたことを考えれば、その心情は理解しえないでもなく、そのほかは、補導部交渉や全学集会が意見の対立から長時間に及び、時に激しいやりとりがあつたとはいうものの、本件事件の時点までの全経過を通じて、学生らが学内の各種会議を妨害したとの事実は、本件全証拠によるも認められず、本来、大学はその性格上話合によつて説得すべき場であつて、警察力によつて押え付けるが如き力の支配には最もなじまない場であることを併せ考えるならば、一面においては自ら招いた緊急事態を切りぬけるためとも解される本件ロックアウト措置の必要性、妥当性について疑問が残らないでもない。

三被告人らの行為の動機、態様および結果

被告人らはいずれも、S支・障研のメンバーとともに「障害者解放」運動に積極的に参加してきた学生であつて、本件事件当日の被告人らの行為も、その一連の過程の中で把えられなければならないところ、被告人らは、ロックアウト措置のもとで教授会が開かれる中、従前からの経緯に思いを至し、今まさに被告人らの手の届かない所で障害者が差別されようとしているとの危機感を抱き、被告人らの運動が提起した障害者差別という重大な問題に対する関心の低い一般教官に、一言でもいいから自分達の主張およびこれまでに至る経過を聞いてほしいという切羽詰まつた気持から、本件行為に及んだものであるが、従前の経緯、特に、被告人ら学生側の主張が全面的にただちに採用しうるかは格別少なくとも身体障害者の差別を解消せんとする熱意に出たものであるにもかかわらず、執行部の対応のし方は前示のとおり不誠実、性急、不適切であり、また、大学の最高意思決定機関たる教授会の構成員として執行部をコントロールすべき重責を担う一般教官の大勢が、S君の合格判定により問題は解決したとして、学生らの提起した障害者に対する教育の場での差別という重要問題について関心が低く、執行部任せであつた(このことは、入試専門委員の要請により、昭和四七年度入試について健康診断を実施すべきかどうかという基本方針を確立すべく招集された一一・二教授会が定足数不足で成立しなかつたこと、および同日の懇談会における芳賀学生課長の「執行部に寄り掛り執行部よきに計えという態度では困る。これは皆さんの問題である。よく考えていただきたい。」との発言に象徴される。OKDニュース五一ないし六〇号(昭和四七年押第六三一号の10)参照)ことを考えるならば、被告人らがかかる切羽詰まつた気持を抱くに至つた心情も十分理解できるところであり、しかも、そのような被告人らの切迫感は、当日の警備状況から判断すれば、たとえ被告人らが本件の如き行為に及んだとしても、その主張を聞いてほしいという願望を達しないうちに逮捕されるであろうことは火を見るより明らかなことであつたにもかかわらず、それでも本件行為に及ばざるをえなかつたという態のものであり、そこまで被告人らを追込んだ点において、執行部ないしは大学側に責任の一端があるものと言わざるをえない。

そして、被告人らは、当日登校してくる教官に対しても、実力によつて教授会出席を妨害する行為に出たことはなく、あくまで説得により教授会のボイコットを呼びかけたのであり、本件構内立入行為についても、兇器を用いあるいは暴力を振つて押入つたのではなく、さして高くない金網さくを隙を窺つて乗越えたというその場の雰囲気に駆られてたやすく行われ易い態様であり、警察官に逮捕される際にも全くもしくはほとんど抵抗しなかつたというのである。そのため、教授会の審議は数分間中断されたに止まり、講堂内が格別混乱することもなかつたので、何ら手間を要することなく、まもなく再開されたのであり、証人阿部浩一の当公判廷における証言によれば、同教授会に出席していた同証人が「何人かの人が入つてきて、何か大きな声を出してガタガタとやつてたら、しばらくしたら静かになつた。」という感じで、「何が起つたんだろう。」というぐらいの印象を抱いた程度であり、被告人らの本件行為の結果は極めて軽微であつたと言わなければならない。

四結論

以上の次第で、被告人らが起訴状記載の日時に、当時立入を禁止されていた大阪教育大学池田分校構内に立入つた事実は明らかに認められるところであるが、被告人らがかかる所為に出た所以のものは、右に詳細判示した如く、被告人らは、従来とかく等閑に付されてきた身体障害者に対する大学の門戸開放を念願して熱心に運動してきたもので、その大学に対する要求は正しい主張に基づいた有意義かつ真剣なものであつたのに、これに対する大学執行部の対処のし方は十分でなく、ときに誠実さに欠け事を急ぎあるいは当を失した行為があり、さらに、教授会の構成員として責任のある一般教官のこれに対する関心も低かつたため、不信感を募らせ焦慮していた折、ロックアウト下での教授会において被告人らの強い真剣な願いに反する入試要項が議決されようとしたことにより、今まさに障害者が差別されようとしているとの危機感に駆られ、せめてその前に自分達の主張を聞いてもらいたいとの切羽詰まつた気持から本件所為に及んだものでその意図目的は真摯であり、その心情には理解すべきものがあるとともに、これを招いたについては大学側にも一半の責任があるのであつて、被告人らの本件所為をそれほど強く非難するのは酷に過ぎると言うべきであるうえ、本件所為によつてもたらされたものは、僅々数分間の教授会の中断に過ぎず、その被害はまことに軽微と言うべく、されば、本件の契機となつた被告人らの「障害者解放」運動の有する意義、重要性、これに対する大学側の対処のし方の不手際など本件に至る経過、事情、被告人らの本件所為の真摯性、態様および結果の軽微性等に、本件は大学で生起した問題に関する大学側と学生側との大学内での事件であるという特殊性等を全体的に観察、判断するときは、被告人らの本件所為をもつて、正当行為とはもとよりなしえないものの、法秩序全体の理念よりして、刑法第一三〇条の定める建造物侵入罪の罰条をもつて処罰しなければならないほどの違法性があるものとは認められないから、結局、右は罪とならないものと言わなければならない。

第五結語

よつて、刑事訴訟法第三三六条により、被告人ら三名に対しいずれも無罪の言渡をすることとし、主文のとおり判決する。

(村上幸太郎 阿部功 水野武)

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